物語の主人公、手越祐也

11月11日はNEWS 手越祐也さんの27回目のお誕生日でした。

 

わたくし、中学生からジャニヲタで、NEWSが大好きです。当時は山下智久さんにデレデレの毎日でした。しかし山下さんと錦戸さんがNEWSを辞めてから、山下さん熱はびっくりするほど冷めてしまい、でも4人のNEWSは今も応援している、という感じです。

「てごにゃん担当♡♡これからもゆーやだけ♡一生ついてく♡」なんて若いことは言えませんし言う気もありませんが、NEWSはアイドルとしてすごく素敵なグループだと思っています。

 

その中で最年少の手越さんがもう27歳。時の流れを感じずにはいられません。

私がNEWSを好きになった当時(8~9年前くらい)、山下さんがもちろん一番好きだったのですが、その次に手越さんが好きでした。山下さんと同じように目が大きく、王子様のような美しい顔だちが好きだったのでしょう。ジャニーズショップで購入した写真も山下さんの次に多かったように思います。

しかし、今はその顔だちだけでなく、「物語の主人公、手越祐也」が好きです。

 

手越さんがジャニーズ事務所に入所したのは2002年12月1日。Hey!Say!Jumpの八乙女光さんやKis-My-Ft2玉森裕太さんと同期です。当時15歳でした。そこからたったの9か月の2003年9月15日、バレーボールワールドカップ2003のイメージキャラクターとして、山下さんを中心とする9人でNEWSが結成され、そのメンバーに手越さんも抜擢されました。サッカー好きのただの少年が入所から異例のスピードで、ジャニーズグループとしてデビューを果たします。

華々しいデビューのはずですが、手越さんは苦しい日々が続きます。ジャニーズジュニアとしてある程度の知名度があった他のメンバーと違い、「手越って誰?」「なんであの子が?」と言われることも多かったそうです。ジャケット写真や雑誌を見ても、デビュー当時から圧倒的に人気のあった山下さんを中心に並び、手越さんは一番端っこに小さく写っているものばかりです。実力も知名度も全てが一番下。それまではリレーでもアンカーだし応援団でも団長。初めて味わう屈辱でした。「NEWSでいることがイヤでイヤでしょうがなかった。」「何度もやめようと思った」ということは本人も語っています。

 

しかし、そこで手越さん天性の負けず嫌いが発揮されます。メンバーに内緒でダンスの個人レッスンやボイトレを受け、差を少しでも埋めようと陰で努力します。事務所に入る前、友達にカラオケを褒められたこともあり、「自分には歌しかない」とカラオケボックスに通い、練習に明け暮れました。やるからには一番じゃなきゃ、結果を出さなきゃ意味がない。やめるのも悔しかった手越さんは、結果を出して認めてもらおうと必死になりました。

 

2006年、NEWSはメンバーの不祥事により、約7か月間の活動休止を余儀なくされます。その間、手越さんは努力が実り、増田貴久さんとのユニット、テゴマスでのデビューが決まります。NEWS結成当初から「ありがとう・今」「砂時計」など、二人で歌うことの多かったテゴマスですが、正式にデビューとなったのです。ジャニーズの中であえて歌だけで勝負しようと決めたテゴマス。「NEWSでできないことをしたかった。まずはトライしてみて、だめだったら次考えればいい。」そのフットワークの軽さやハングリー精神も手越さんの強さです。(そういえば、Mステに手越さん一人で出演し、砂時計をうたったこともありましたね。特に前後に何があったわけでもなかった気がするのですがあれは何だったのでしょう笑)

 

2007年にNEWSは活動を再開し、ツアーも年1回のペースで行います。私は「NEWS WINTER PARTY DIAMOND」で初めてコンサートに行きました。自分の誕生日のときだったのでとても印象的です。その前の「NEWS CONCERT TOUR pacific 2007-2008」も行きたかったな。

 

2009年には24時間テレビの司会も務めます。「世界の果てまでイッテQ」に出演していた手越さんが、イモトさんのマラソンのゴールで約束通りハグをしたシーンは涙なしには見れません。あんなに純粋な手越さんの涙。美しい。

さて、少し話がそれたような気もしなくはありませんが…

 

2010年にはNEWSの活動はめっきり減ってしまいます。手越さんは当時のことを「メンバー間でも意見が対立した」というようなニュアンスで語っています。ツアーで全国のファンに会いに行きたかった手越さんの意志とは逆に、東京、大阪のドームコンサートが1回行われただけでした。

 

そして、2011年10月7日。山下さんと錦戸さんがNEWS脱退を発表します。(NEWSのことはまた別の記事でも語りたいなと思うので、このことはあまり長々と書きませんが。)

 

NEWSは4人になりました。最初は活動を続けるかという議論もあったようです。しかし、4人の強い意思によってNEWSは存続を決意。4人体制での初のシングル「チャンカパーナ」はオリコン1位に輝き、「NEWS LIVE TOUR 2012 〜美しい恋にするよ〜」ツアーも大成功させます。

 

復活をとげた秩父宮ラグビー場での公演でメンバーが号泣する中、手越さんは最後まで泣きませんでした。チャンカパーナカップリング曲であり、代表曲の「フルスイング」の最後のソロパート、手越さんはこらえていたものが爆発するように涙が溢れます。人前で泣くのが大嫌いだという手越さん。自分なりにもがき苦しみ、グループの活動休止にも負けずに努力を続け、なかなか自分のキャラクターを前に出せないもどかしさがありながらも、アイドルの楽しさをだんだんと感じ、絶対にNEWSでてっぺんをとろうと心に決め、それなのにグループの大黒柱を2人失い、9年前は誰も想像していなかったこの現実。でもそれを受け入れ、4人になったNEWSで、自分が引っ張っていかなくては、という覚悟を決め、大好きなファンの前で最高の笑顔でパフォーマンスをしていた手越さん。

 

負けず嫌いの努力の天才が抱えていたものは大きすぎました。

泣き崩れる手越さんに、私は、9年分のプレッシャーの荷が下りた瞬間だったのかな、と感じました。

立ち止まっていたとしたって 夢は終わりじゃなくて

さすらいの果て何を問う?自分だけの旅

追い込まれたって前へ 君だけにある明日へ

もう最期まで賽を振れ 願いを込めたフルスイングで

(フルスイング)

自分のせいじゃないのに何度も絶たれそうになった夢を、「 ああ、このメンバーとなら、このファンとなら、これからもまだまだ自分らしく安心して前へ進める」そう思っていたんじゃないかな、と。

 

 

最近ではテレビの露出も増え、特にイッテQでは、うざキャラとしてとてもおいしく扱っていただいてます。また、FIFA クラブワールドカップのメインキャスターを今年で3年連続務め、そして夢の一つでもあったワールドカップのメインキャスターという大仕事もこなしました。テレビで公言し続けた夢を、自分の手でつかみ取っていく手越さん。どこまでいくのでしょうか。

 

 

彼の将来の目標は、「アイドルとしてナンバーワンになること」です。

「アイドルといえば、手越祐也」日本中の人に好きと思われるアイドルになること。

子猫ちゃんなんてセリフ、今時アイドルでも恥ずかしくて言えません。

その目標を達成するために彼はいつでも全力です。できないと言わない。まずは何でもやってみる。できなかったらできるように努力する。やるからには一番をとりにいく。

多分、元々のスペックは高い方だと思います。しかし彼はそれでは納得しません。更に上を、誰よりも上を。

 

イッテQを見ている方は、ただのビッグマウスと思うかもしれません。確かにかわいい生意気野郎です。でも彼はNEWSを引っ張っていくために、NEWSを一番にするためには自分が頑張らなきゃという使命感からのビッグマウスなのです。

そしてなんでだろう、彼の言うことは全て現実になる気がしてしまうんです。ただ才能がそうさせるのではなく、手越さんが一つずつ夢を手繰り寄せていく姿が浮かんでくるのです。

 

彼の11年間は壮絶なものだったでしょう。言葉で語られるのは簡単だし、今だから笑って言えることもたくさんありますが、それを弱冠16歳の少年が抱えていたと思うと、私は彼を尊敬します。

ステージで1万人のお客さんの前で歌っても歓声一つ起こらないような、誰にも知られていないままデビューし端っこで踊っていた少年が、11年後、ステージの真ん中で、何万人もの溢れんばかりの声援を浴びながらアイドルの頂点を目指す。

こんなできすぎた物語があっていいのでしょうか?

 

物語の主人公、手越祐也

もはや私にはそうとしか見えません。

27歳の手越さんもまだまだおもしろいストーリーが展開されていくことを楽しみにしています。